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【考え】日本語教師のあり方:「お母さんみたい」と言われる先生への葛藤

傾聴コーチングとは

学生に「先生はお母さんみたい」と言われたらうれしいでしょうか。

だいぶ前ですが、日本語学校に勤めていたとき、留学生たちは18歳ー20代前半でした。その学校では遅刻が多い学生に担任の先生が「モーニングコール」をして起こしてあげていました。私も新人のころしていたけれど、ある時やめました。

「これは教師の仕事ではない。私は親ではないのだし、相手も子どもではない。なぜ、他の先生はそこまでしてあげるのだろうか?」と疑問に思っていたのです。

しかし、同僚の中には学生の生活の困りごとを聞いて調べてあげたり、モーニングコールをして「先生はお母さんみたい」と言われてうれしい人もいるようでした。日本語教師の中には「海外から来た留学生の役に立ちたい」という気持ちの強い人も多いし、その延長で「日本での生活で困っていたら助けてあげたい」となるのかもしれない。それを頼りにする学生も見てきました。

「お母さんみたいな先生」に対して私がモヤモヤを感じる理由は二つあります。

一つは、学生に対して必要以上に世話を焼くと、本人が自分で考えたり気づいたりして行動する機会を奪ってしまうという理由。安易に助けてあげるより、自立できるように見守ることが必要だと考えます。つまり、寝坊して遅刻したら学生自身がその行動の責任を取るべきだと思うのです。あと、生活の困りごとであれば、学校の事務局の担当者に任せるのが良いと考えます。

もう一つの理由は、私の私的な感じ方・考え方にあります。私は幼いころから「自分のことは自分でしなさい」という家庭教育のもとに育ってきました。実家は自営業で親は忙しかったし、5つ違いの妹もいたから、子供のころから「自分のことは自分でする」が当たり前だった。今思うと、根っこのところでは、さびしいというか「もっと親にかまってほしい」と思っていた気もします。

それもあるのかもしれない。目の前で教師が学生にモーニングコールなどの「お母さんみたいに世話を焼いている光景」を見るとモヤモヤするのでした。私が子どもの頃から言われてきた「自分のことは自分でしなさい」という考えと真逆ですからね。同時に、私にとって満たされなかった感情を呼び起こす光景なのでした。

結局、どうなんでしょう?

世話をする先生たちが「よかれと思ってやっている」「困っているなら助けたい」という心情もわかります。もしかしたら、頑張るアイドルを応援する「推し活」みたいな感覚もあるのでしょうか。

一方で、私は子供のときの家庭教育を抜きにしても、世話好きとは言えない性格。「お母さんみたいな先生」のように学生に献身的になれない。それもあって、「相手のためにやってあげたい」という奉仕の精神が理解しにくいのかもしれません。

わかっているのは、他人が安易に問題を解決してあげると本人が考えて気づく機会を奪ってしまうということです。

ただ、このことをそのまま伝えると、ある人たちが「今までやり甲斐を感じていたこと」「学生のためだと思ってしてきたこと」を否定することになります。自分が良しとしてきた価値観や行動を「否定された」と感じると、誰しも受け入れることが難しく、反発したくなるでしょうね。対立の元になりそうです。

一方が「正しさ」を主張し、強要するのではなく、まずは「教師と学習者との関係性」について、ざっくばらんに話をしてみるのがいいかもしれません。「私はこう考えて関わっている」と話したり、他者の視点を知るところから始まるのかな、と思います。

ABOUT ME
吉田 有美
日本語キャリアサポーター。著書「日本語教師のための はじめてのコーチング」。日本語ボランティア向け「学習者との会話を広げる深めるコミュニケーション」講師として活躍中。個人向けサービス「大人にための自己分析・自己理解」をテーマとするコーチングセッションを行う。日本語学習者への個人レッスンも提供中。